本陣小松家の屋敷跡にに水戸浪士の墓が建立されております
浪人塚(水戸浪士の墓)とも拝命されています
私は、茨城県在住でありながらも、お仕事で長野県に出向くことはよくあることで中山道も行き帰りの近道としてよく利用します
よく利用するはさておいて、道沿いに水戸浪士のお墓との案内板があるのですね
なぜ、水戸浪士なのか?水戸なら水戸市でしょう
しかし、ここは諏訪市、水戸市からの距離は350キロほどあるはず....なんの関係が?
無知な私は以前、水戸市と水戸浪士が頭の中でつながらず、単なる同名な事情?
程度の認識でしたが、あほですね
しかし、ここまで、いや京へ向かうというならまだ半分の距離でしょう
昔の人はよく歩いたなが...現代人は歩けるか?
2016 1220 火曜日 長野 晴れ
天狗党の乱(てんぐとうのらん)より...
元治元年(1864年)に筑波山で挙兵した水戸藩内外の尊皇攘夷を掲げた天狗党
水戸藩を脱藩した浪士軍が京へ向かう途上、幕府の阻止使命を受けた高島、松本藩と
激突したのです
行進する目標とかなえられず命を落とした水戸浪士の死を悼んで、塚が建立されました....
詳細な歴史は、こちらで...天狗党の乱
事情を理解すれば、現地を確認したいが人情で今回拝観した次第です
浪人塚(水戸浪士の墓)は、中山道を諏訪市の方向へ向かう
上田方面からですと和田峠を越えてから数数キロ
高速道路では、岡谷インターを右に出て上田方面を目指せば5~6キロほど
左に水戸浪士の墓の案内が確認でき、ロードスペースがあるので停車
左下に確認できます(道路下にあるのですね)
もしくは、右折し中山道を下トンネルで左へ進む事で現地まで到着します
こちらは下りから見てます
和田峠を下ると案内板が...わき道を左進む 道は狭いため、大型バスは苦しいい...
水戸市とのつながりでしょうか、梅林が植樹されております
到来時期が12月、春にまた来て満開の花ビラを鑑賞したいものです
ここまで水戸市長も来るんですね...感動してます
フォトが不足ですね
次の回に再フォトしてきます
私も、同じです。
返信削除何度も、仕事で通っておりますが「水戸浪士?水戸の人?」位の気持ちでしたが、やっぱり気になって、ググってみた所。こちらに辿り着きました。
ナビにも「水戸藩士の墓」と載っていたので、更に気になっておりました。
こちらのブログをキッカケに、天狗党など詳しく知る事ができました。ありがとうございますm(_ _)mペコリ♫
懐かしいです、今から30年くらい前、仕事でよく通っていました。
返信削除その当時、詳しい理由も知らずに気になって夏の暑い日、缶ビールを
おそないとして奥の方へ持っていくつもりでしたが、なんか怖くて持って行けず
石の生垣の上に置いてお参りしてきました。
そして暑い日でしたが汗も出ず背中にざわっと寒気を感じたのを思い出しました。